「きれい」ということ
2019.06.28
この6月、私は日本舞踊協会の新作公演「未来座~彩~」で振付を担当。何とか無事に終わってホッとしています。
今回の公演は、舞踊劇「檜☆男」(ピノキオ)と舞踊抄「春夏秋冬」の2本立て。私は「春夏秋冬」の「春」を担当させて頂きました。
作品の長さとしては、それぞれの景が7~8分位、「夏」は花柳基氏、「秋」は井上八千代先生、「冬」は五條珠実氏が担当なので、絶対的な安心感。私が滑ったところで、びくともしない布陣ですが、それでも久しぶりの協会公演の振付は気が重かったです。
総監督の壽應先生から、振袖で日本舞踊らしいものを、と演出プランを頂いたので、兎に角、振袖姿を美しく見せられるようにしよう、と決めました。
若い頃は正直、「きれいでしたよ~」というお客様のコメントに素直に喜べなかった自分がありました。
他に褒めることがなくて仕方なく言っている感じがしたからです。
でも実は「綺麗」は色々な条件が揃わなければ成立しないものなんだ、ということが、最近になって漸く分かってきました。容姿がたとえ綺麗でも、若くても、それだけでは成り立たない。演じ手から醸し出される雰囲気、手足や目線の緊張感など、幾重にも条件が折り合って創り出されるもの・・・。
そこに漸く現れる「きれい」。
だから、今回は振付の奇抜さとかいうことは無視して、兎に角13人の女流舞踊家が綺麗に「花」となって輝いてくれる様にと念じて振付を行いました。
舞台衣装と違って、各自の振袖もまちまちで、当初は、「ガチャガチャして見えないかしら・・・・」と、心配したのですが、これは取り越し苦労でした。
和服、とりわけ「振袖」の華やかさは、やっぱり凄い!! 素晴らしい文化財です、着物って。
終わって今は嵐の後のようですが、再発見できたこと、新発見したこと、色々と得られたものが多かった今回の振付でした。
でも、やっぱり、踊ってる方が、楽しいですけど!!(^_-)-☆