改めて「平将門」を知りました

2024.10.08

今月5日藤間流藤盛会関東支部の研修会として、はとバスツアーを開催しました。

タイトルは「将門と北斗七星ツアー」。確か歴史で「935年平将門の乱」というたった一行の記憶しかないのですがその私が、何と!舞踊「将門」の解説を仰せつかりまして、久方ぶりの猛勉強を致しました。(笑)

将門の首塚や鎧などを祀った所縁の寺社神社7か所を巡るツアーですが、中々普段では行きつかないような質素な神社もあり、今回のツアーをきっかけに面白い体験でした。生憎の小雨でしたが、お昼のバイキングも含め、楽しい研修となりました。

北斗七星が何で関係あるの?・・・・という疑問から始まって、数ある将門の伝説も知りました。

神田明神で将門様を第3の柱としてお祀りしているなんてことも初めて知った次第・・・( ;∀;)

でも調べていくと、天皇になる!!と言って新皇を名乗った天下は数か月・・・残ったのは巨悪のレッテルのみ。でも地元では実は正義感溢れる一人の豪族。その正義感故に人の思惑に乗せられてしまった、というちょっと同情してしまう面もありました。

伝達手段のない昔だからこそ、噂や思惑が雪だるま式に膨らんで、実際以上に将門のイメージが、巨悪のイメージにこしらえられていったことも分かりました。現代のSNS拡散などの悲劇と似ているな・・・とも。

大罪人から御霊に祀り上げられ、今は神として人々の信仰を集める存在になった将門。しかし将門の首塚(大手町にあります)は、土地相場数十億と言われる大手町のビル群の中に鎮座されているのをみれば、未だに恐れられている事は明白。今の時代にもその伝説は影響しているのです。

この役目を仰せつかった当初は気が重~いだけでしたが、勉強するうちに面白くなりました。なんでもやってみるもんですね。でも若い時と違って、本を読んでも記憶に中々残らない現実・・・・・😢かなしい・・・です。